色褪せない_作品たち
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犬のいる三部作

 木村伊兵衛「秋田」、森山大道「新宿」、藤原新也「印度」、勝手ながら木村伊兵衛から森山大道を経て藤原新也に至る写真家の流れを日本写真のメインストリームとして受けとめている。似ているとすれば、大型の写真機で凝視して撮ったのとはまた違う緊張感だろうか、近眼で視力の弱い私にはそれだけで身近な思いを持ってしまう。
 藤原新也は、全東洋街道に“瞬視”という禅語を使って、事物を長く見つめると光が届かないからむしろ自分が空虚になって一瞬見えたものを受け入れると本当の姿が写るというようなことを書いている。森山大道は、写真は光と時間の化石であるとして、一旦考え始めると瞬間の鮮烈な感動が薄れて思惟的なものになるのでその場の空気感を重視して身体全体で撮っているという。そして、写真の強みは瞬間撮影であり絵画的表現では写真は絵にはかなわないといい、ストーリーを作って型にはめるより体当たりで人間を描き出すとして、報道写真を目指した木村伊兵衛はライカの名手として彼らの遥か先にあった。

森山大道「遠野物語」

  森山大道「遠野物語」蕎麦屋で昼飯に新聞を広げると森山大道回顧展の見出に不快感を覚える。自分自身の現在が勝手に過去形に書き換えられてしまったような気がしたのだ。
 寺山修司の一文を配した“にっぽん劇場写真帖”を初めて目にしたのは、この写真集が刊行された1968年から遥か後のことだった。ページをめくる毎に涙し、潤んだ眼でページをめくるというにはもう既に年をとり過ぎてはいたが、今もあの「関係性」を追い求めたブレボケアレの時代を思うと込み上げてくるものがある。森山大道とは“遠野物語”の年に一度だけ話を聞く機会があり、写真を撮るときには「後ろ髪を引かれる思い」でシャッターを落とすと語っていたことだけが印象に残っている。
 この年の夏、夕張を目指しながら三陸久慈から遠野そして下北大間を経て函館で引き返し、青函連絡船を降りて酸ヶ湯を周って弘前には寄らず秋田から象潟・酒田へと撮影旅行をした。そして秋には妙に控え目な森山大道から遠野の鶏や馬そして畑や川や家々の写真を見せられることになった。ぽかんとした遠野の風景は、大道の写真ではずっと遠くの別世界として、“もう一つの国”の風景として映っていた。そのとき既に70年代の遠野ではなく“遠野物語”の遠野であり、今もどこにも無い遠野である。そして、私の撮った遠野の写真は探し出せないままである。

藤原新也「メメント・モリ」

 海外旅行をする若者達にとって今や“全東洋街道”はバイブルである、と日経新聞のコラムはベストセラーを紹介している。そして、藤原新也は“メメント・モリ”では「死は病ではない」とし、この本をコーランのようであって欲しいと願う。バイブルにも、擦れたコーランにも、チベットの仏典は勿論のこと正信偈にも縁遠い私には、“死を想え”とは手掛りのないタイトルだった。
 この意味が少し解りかけたのは90年代に発現した一連の超能力オウム真理教事件で、バブル崩壊とシンクロして「ニセモノの死」を考えることが私のメメント・モリの契機となった。
 「阿弥陀も銭切」とは真宗でしか通用しない皮肉たが、護符も儀式もなく本願寺の坊主にも超能力はなく、一切の衆生は如来の働きで平等に極楽浄土に解放される教えの真宗も、金銭によって“平等”がランク付されるシステムに刷替えられたことを批判している。実際に逆差別的で高額な院号法名も出ている。しかし、死は差別できない。本当の死は本当の生のアリバイであるなら、差別されたニセモノの死はニセモノの生を保証する。
 「犬に食われるほど自由」な人間として死を選びとる力を養うことは、自らの生を取り返す力を得ることであり、“メメントモリ”は自分がどこから来てどこへ向かうのかを示しているようである。そして、ずっと後になってから気づいたのだが、この本がコーランのようであって欲しいということの意味は既に全東洋街道に記されていた。

木村伊兵衛「外遊写真」

 1901年12月12日生の一人っ子で慶応義塾幼稚舎に人力車で通学、1974年5月31日死去享年七十二歳、従五位勲四等旭日小綬章を授与されると岩波略年譜にある。
 木村伊兵衛についてその存命中は過去の人と思っていた。年を経るに従って、次第に大きな存在であることが分かってきた。私にとって土門拳よりも木村伊兵衛の方が写真の出発点により近いことに気がついたのだ。
 先にテーマがあってその挿絵としての役割を負った写真ではなく、キャプションによって補完されることで制約を受ける写真でもなく、「物それ自身が語る新しい写真」の世界が展開されていたのだ。予じめ与えられたメッセージやイメージを映像によって再解釈するのとは異なり、撮られた映像が見る者と見られるものとの関係性を媒介するという、今の私にとっては当り前の写真である。同時代的に彼の写真に感動したというのではなく、写真雑誌などをめくっているうちに意識下で感化されたというべきだろうか。それとも、森山大道やカルティエ=ブレッソンなんかを見ているうちにオーバーラップしてきたのだろうか。眺める度に引き込まれてしまう。時間が経つほど面白い。説明的でもなく、造形的でもなく、ただ雰囲気を感じる。
 パリもウィーンもローマも誰が撮っても不思議のない映像ばかり、それを木村伊兵衛と思って見直すと彼にしか撮れない写真の集積が見えてくる。ひょっとしてアマチュアのコンテストだと落ちてしまう、という大島渚の言葉には実感がこもっている。

浦島五月