グチダラ制度徘徊

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 イラク人質事件での自己責任騒動の成り行きを振り返ると、みんな等しく自己責任なら納得できないことも無いのですが、鼻の利く人たちが責任感旺盛な人にだけ自己責任を背負い込ませているように見えます。この先、年金問題に於いては同様の騒ぎで終わって欲しくありません。「年金」は基本的に自己責任であって、その責任を多数に分散させることで相互扶助の仕組みが出来上がったと考えます。他人の自己責任を言うのは自己の無知と無責任を晒すに等しいのではないでしょうか。

 9.11の標的が保険・金融の中心であったことは象徴的です。相互扶助の仕組として運営されているなら保険は別の姿を顕していたのでしょうが、マネーゲームの胴元のようにしか見えなくなったところで、テロの標的とされるべき十分な口実を与えてしまったようです。多くの人にとっての有り得る事故に際しての助け合いとして、社会保険としてのフレームの中では公的年金制度は当然に「保険」としての機能を色濃く持っています。相互扶助の仕組として公的年金制度を立て直すなら、これを蘇生できなくはないと考えます。死亡も老齢も、人間には避け得ない事で、この分かりきった事態には当然に「自己責任」で対処すべきです。この自己責任が余りにも重いために、民営の保険制度では不安定・不十分なので、強制力ある社会保険によって危険を金銭で分け合って分散させていると考えます。

 公的年金制度は健康保険制度とともに「社会保険」制度として、社会福祉制度や社会保障制度とのつながりの中で位置付けられるものではあっても、単に生活に困ったときの恩恵・扶助とも、直接的な生存権とも異なる領域にあるものと考えます。年金は老齢や死亡・障害など予測は出来ても選択の余地の少ない事故を扱うため保険としてのシステムが採用できます。基本的には、保険料の負担能力に応じて保険料を負担し、負担した保険料に応じた給付を受けることになります。負担と給付のバランスを調整するのが保険数理計算です。そこには自己責任の考えも貫かれており、いくら生活費が不足していても年金制度だけで全ての生活を保障するものではなく、自己負担相応の年金給付が不足のときは生活扶助など他の制度に頼らざるを得ません。公的年金制度だけで生活を保障しようとか、公的年金制度に福祉的な要求を盛り込もうとすることには無理があるようです。

 年金計算の赤字黒字は何を基準に言うのか私にはよく分かっていません。はっきりと分けることができるのは、障害を原因に給付される年金と、死亡を原因に給付される年金と、生存を原因に給付される年金と、三つに区分されることです。どの部分がどのくらいに赤字であり或いは黒字なのか、生存給付のみが赤字なら積立金の評価と給付水準が重要と考えます。障害年金が赤字なら危険率自体の問題かもしれません。死亡給付が赤字というのはあまり考えられませんが、もしも、死亡給付が赤字ならその反対に生存給付が黒字になり、年金財政全体では黒字が出そうです。

 ある保険会社の管理職から聞いたところでは、従来、生命保険の平均余命そのものが安全を見て短命に設定されていたことに加えて平均寿命が大きく伸びたことによって、死亡保険金の支払は保険会社の予想を大きく下回っていていわゆる死差益を生じることが当たり前だったということです。これと逆に、生存給付が中心の年金制度では平均寿命が延びれば終身給付の年金支払も延長され差損を出すのは明らかです。民間の年金であれば、安全を取って終身保障の商品は保険料を高く設定し、運用益が寿命の延びを大きく上回れば配当を出すことになります。受け取った保険料から保険会社の管理費を差し引いてこれを積み立てて運用するわけですが、この時に安全を取るというのは、例えば終身年金であれば余命20年のところ2年ほど長く支給できるほどの積立金を確保することと運用益5%のところを4%で計算して保険料を設定することにより、給付や運用に多少の誤差が出ても制度は安全に維持できることになります。

 自分なりに考えるに、年金制度が積立方式なら、今現在の資産保有が将来の給付に不足がなければ黒字であり、不足なら赤字ということで理解していいと思っています。もちろん、将来の給付価額を現在価額に評価し直す作業が必要になりますし、運用損益の見込も流動的であり、それなりに許容されるべき誤差は残さざるを得ないでしょう。賦課方式でいうなら、その時その時の収入と支出のバランスがとれてさえいれば赤字とは言わないのだと思います。これなら、基本的に積立金は必要ないように考えられます。賦課方式だと受け取る年金は自分の金だとは言い難くなってしまい、吸い上げた資金をばら撒くやり方ですから、年金受給は自己の負担に対応する権利ではあっても匙加減を効かすとどこか恩着せがましくなりそうです。福祉方面の方々はそれを望んでいるのではないかと心配になります。

 年金財政が黒字か赤字かに関して、「インチキ経済評論家紺谷典子氏の“現在、年金の積立金が226兆円も存在するから年金は黒字だ”との暴論(宇佐美保氏)」を根拠にするなら、賦課方式に基づいて考える限り、これまでの財政は明らかに単年度で黒字という結論を導き出すことができるでしょう。この考えからすると年金危機は現在の問題ではなく将来の問題であり、保険料の徴収が激減し積立金を全て取り崩してしまった時に初めて年金財政は赤字ということになります。資金繰りさえつけば事業は成り立つということです。積立金を抱えたままで賦課方式を採用する限り、まだまだ問題は先送りすることもできますし、最後の最後まで年金財政の破綻は現実のものとは成り得ないことのようです。或いはそのためにこそ積立方式を棄てて賦課方式を採ったとも考えられます。

 もしかしたら、全て国や自治体の財政というのは本当にこんなものなのかも知れません。収入と支出とのバランスさえ取れていれば何も問題が無いのかもしれません。収入が見込めなければどんなに必要であっても支出を抑えて、支出が増えるなら借りてでも収入を確保する、それが賦課方式のようです。過去の積立金不足は賦課方式に切り替えることで解消されており、現実に収入が伸びずに支出が増えて積立金を取り崩しても今現在の問題(責任)ではなく、将来に亘って収入の増加が見込めず支出は確実に増加し続けることを問題にすることで、政治課題として未来の選択肢を与えて解決を図っているように見えます。個人的には、この積立金残高が消えないうちに賦課方式から積立方式に戻すことができないものかと考えています。

 宇佐美保氏によると“テレビ朝日「サンデープロジェクト」”に於いて、安倍晋三自民党幹事長は、「年金に関して」次のように発言していました。「年金という性格上、基本的には、自分が自分の老後に備えて蓄えて行く。一方、義務化して「皆年金制度」として支えようという仕組みになっている。」ところが残念なことに、年金問題の根本に無知で自らも年金未払い期間があった司会の田原総一朗氏は「義務なら、通知してくれよ!」と喚きました。なぜなら“年金役人達は国民を上手く騙して、本来の「年金は自己責任」から「年金は、国民みんなが支え合う義務(即ち、賦課式)」へと、国民を洗脳してしまった。”からであって、“田原氏が「年金の本質」を安倍氏同様に理解されていたら、彼等が「本来積立金方式」であった年金制度を、「賦課方式」に貶めた罪、即ち、「積立金運用」によって多大の損害を私達に与えた責任問題を、安倍氏にその場でぶつける事が出来た。”とジャーナリストの問題意識に疑問を呈しています。

 安部幹事長は年金の本質を積立方式と心得ているのです。これに対して、マスメディアと従属評論家はここの理解が無く賦課方式に洗脳されていて、積立方式破綻の責任追及が甘くなるということです。公的年金は社会保険なので任意に加入して保険料を積み立てるのではなく、義務として強制的に保険料を賦課することは当然です。保険料が一方的に賦課されることを賦課方式というのではなく、年金支払原資を積み立てせずに支払に必要なだけ賦課することを賦課方式と呼びます。積立方式であっても積み立てるべき保険料は賦課され徴収しなければ制度が成り立ちません。ただ、積立方式でいうときの積立金は本人に給付するための積立金として長期に亘って管理運用されるべきもので、剰余金を積み立てただけのものではありませんし、積立金を取り崩すのは既に積立期間が経過し給付時期に入ったときになります。

 安部氏は積立主義だったのですね。でも、保険料未払いを援護する理由にはできません。この後のことになるのでしょうが、小泉首相が会社イロイロに籍を置きながら自由に政治活動をしていいと言われて、会社の業務に従事せずに、給料を受け取り社会保険にも加入していたという報道がありまた。もしも、私が勤務実態の無い会社ハニハニから健康保険証を受け取り厚生年金に加入させて貰っていたら、保険料をちゃんと払っていたとしても犯罪行為とされるに違いありません。何故なら、パートタイマーは給料が安いという理由からではなく勤務時間が短いということで社会保険加入を否認されているのですから。それを、会社の業務に従事せずに給料を受け取り社会保険にも加入できると言うなら、商工会議所は組合を設立して商店街の個人事業のオッチャン・オバチャンを安く社会保険に加入させることができるはずです。そして、働くすべてのオバチャンの国民年金を只にできるはずです。

 族議員・官僚による「年金食いつぶし」「積立金貪り食い」が取り沙汰されています。ただ、役人の目の前に金を並べたとして、それをそのまま自分の懐に入れることなど考えられません。どんな大義名分を掲げたのでしょうか。何の根拠もなく単に直感だけで申し訳ありませんが、社会「福祉」を隠れミノにしていたのではないでしょうか。或いは、「福祉」を掲げることで全てが許されたのではないでしょうか。健康保険料から当然に老人保健に財源が回されるように、年金原資も福祉財源に充てられることが当然として考え、社会保険料は社会福祉財源の一徴収部門として扱われてしまい、「福祉」予算に社会保険を吸収しようという意図さえあったのではないかと疑います。そのために、高額所得者・資産保有者には大幅減税で自己責任能力を向上させ、低所得無資産層には消費税・保険料の引き上げで自己負担を求めています。何だか自己負担した後の残り滓を相手に福祉の餌を撒いて職を得ている人達がいるみたいです。

 岩瀬達哉氏(ジャーナリスト)によると、戦前の厚生年金保険課長だった花澤武夫氏が「年金を払うのは先のことだから、……将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばいい」と「厚生年金保険の歴史を回顧する座談会」で当時を振り返ってホンネを語っているそうです。制度の始まりから賦課方式への転換がプログラムされていたという事になります。年金危機プログラムは何時ごろから準備されていたんでしょうか。賦課方式だから他人の福祉財源に充当し、世代間の助け合いだと言えば将来の給付を削減する名目にするつもりなのでしょうか。

 公的年金に関して、計算に於いては積立方式、運用に於いては賦課方式、というのが私見です。修正積立方式と言ったり修正賦課方式と言ったり見做し積立方式と言われたりします。これは基本的には積立方式で制度を組み立て、資金運用面で不足する際には公的資金(基本的に税)を流用することになります。そのためには、単純に過去の保険料支払いを積み上げた収入と、単純に保険数理に基づいて確率計算を根拠にした支出と、総資産に対する運用収益と、それぞれの誤差とを基準にして、公的資金の必要量をはかることができそうです。或いはそのギャップを食い潰しとして浮かび上がらせることも可能でしょう。

 スウェーデンでは「納めた保険料は必ず返ってくる」というキャッチフレーズのもとで保険料拠出と年金給付を直接的に結びつけることで問題の打開を図っているとのことです。高山憲之氏によると、このスウェーデン方式では、個人拠出額を「見做し運用利回り」をつけて個人勘定に記録し平均余命に基づいて年々の給付が決められ、受給開始年齢は本人が決めることになっているそうです。そして、この拠出金は積立金に回されることなく給付を賄うために用いられるので、実際には賦課方式の財政で給付額は積立計算されていることになります。将来における単年度の給付と拠出のバランスも知りたいところです。また、高山氏によると日本の行政からはこれができないとの声があり、「民間」専門家なら可能なことだと無能な公務員の放逐にまで及んでいます。ただ、年金財政に於ける過去債務超過の修復には、銀行に投入したと同様に公的資金の投入を求めています。

 年金を考えるとき素直に不思議なことがあります。積立方式で運用する場合に、平均寿命が40年前に75歳として、今もし85歳とすると、このような予測と変更はどの様にして何時なされるべきか。単純に考えて、10年分の年金原資が不足するのは当り前です。その分を見込んで余計に保険料を巻き上げていたのでないなら、不足するということです。少子化が起こらなくても、長寿化だけでも、年金原資の不足が起こるはずです。運用益だけでカバーできたのでしょうか。賦課方式において少子化は大問題ですが、積立方式をとるとき長寿化もまた大きな負担となるのです。みんな長生きしたから、他人の積立金も食ってしまうのか、15年分の年金を20年分に薄めるのか、どんな遣り繰りをしていたのか、民間の保険会社なら発売停止にしそうなところです。

 もう一つ、年金に関して不思議なこと、と言うよりも当たり前のこと。運用益の低下について。
 一人ひとりについて、民間の保険会社と同様に、毎年の掛け金や運用状態や残高を計算して管理記録を通知するぐらいは難しくないと思われます。そこには保険としての数理計算も働きますから、生存時の老齢年金だけではなく、死亡時の遺族年金や障害時の障害年金も区分して計算することも当然です。掛け金を掛けるだけで受け取ることなく亡くなる人もあるだろうし、若くして障害年金を受給する人もあるだろうし、一人ひとりは積立金を取り崩すわけではなくとも、保険としてのバランスで計算は可能と考えます。ここで、中途半端に福祉的な発想を取り入れてしまうと、世代間扶養に引きずり込まれそうな気配を感じます。

 労働組合が強ければ組合管理もあったのかもしれませんが、官公庁や大企業の労働組合が残ったのは、共済年金の生き残りと重なってしまいいい気持ちがしません。旧国鉄共済はどうして厚生年金に吸収されなければならなかったのでしょうか。この際ですから、厚生年金を真面目な共済年金化することも考えてはどうでしょう。共済年金に厚生年金を吸収させてしまうのです。共済年金は大反対するでしょうが、不足の原資を回収するために、できるだけ多くの役人をいったん解雇して退職金の50%は年金保険料にまわすとか、議員年金のうち国民年金を上回る部分は厚生年金にまわすとか、3号被保険者からも保険料を徴収するとか、年金の一本化は年金の共済年金化という方向もあるのです。

 何故「積立金方式」の年金が破綻したのか、宇佐美保氏によると原因は次の三点のように考えられています。ここに少子高齢化は破綻の原因として挙げられていません。
第一の原因:積立金の運用ミス(本来400兆円有ったという積立金が226兆円に減っている、7〜80兆円不良債権化している、……積立金の運用を間違ったり食い物にしてしまった為)
第二の原因:物価変動(物価スライドによって実質的価値を維持した年金を一生涯に亙って保障、……現在はデフレ状況で「積立金方式」を物価変動を考慮した「世代間扶養」即ち「賦課方式」に変更する必要はない)
第三の原因:低金利(現在のような低金利は年金制度発足時には読み込む事は出来なかった筈、役人達は、「年金なんか他人の金」との感覚で余剰金をヘソクルなど一顧だにせず無駄遣いを容認していた)
積立方式の破綻について少子高齢化が原因とされないのは、人口構成に変動があっても積み立てた年金を取り崩すだけなので、給付のための年金原資は確保されていて保険料収入の減少には左右されないからです。保険料収入の減少は将来に於いて給付すべき年金の原資の減少であって、将来の年金給付が減少するなら保険料収入が減少することは当然のことで何の問題もないのです。それを、自己責任方式とも言うべき積立方式の破綻を世代間扶養と称して賦課方式にすり替て解決し、その原因を少子高齢化に求めて将来の年金の問題として先送りしているのが「年金危機プログラム」「年金崩壊キャンペーン」のようです。

 ★積立方式で年金制度を運営するとどうなるのでしょうか。原理的には民間の保険会社の終身年金と同様の制度が出来上がるはずです。好景気高金利の時期なら、毎月の保険料を積み立てて複利で運用することで、年金受給開始時には支払保険料総額よりも遥かに大きな積立金残高を形成できます。低金利時代でも、年金受給前に死亡した人の原資を分配することなども考慮すると、それなりに残高は増加します。民間の保険会社と違うのは、基本的に運用経費を負担しないことと運用益に課税しないことぐらいでしょう。でも、複利運用するとこれが大変に大きいのです。金利5%の運用に20%課税されると実質的に4%の運用と変わらず、1.05の10乗は1.6288、1.04の10乗は1.4802となり、単純に10年で元金の15%近くの差が出ます。低金利時代に顕著なのは運用経費の負担の有無です。積立残高に対して3%の運用経費が必要なら、金利1%なら実質はマイナス2%となり、0.98の10乗は0.8170となり10年で18%の目減りです。運用経費も課税も無いなら、単に1%の複利で1.01の10乗、10年で1.1046倍にはなります。現実には、遺族年金や障害年金の給付のための原資も必要なため、年金財政全体としての数字はもっと厳しくなるものと考えます。

 賦課方式を原則にした年金制度を積立方式に組み替えることは可能なのでしょうか。食い荒らされ目減りしたとはいえ積立金残高がまだ数年分は残っているという時期に於いて、修正積立方式と呼ばれようと擬似積立方式と呼ばれようと、「年金の理想」としての積立方式を幻想するなら、財政に於いては賦課方式に頼りながらも計算においては積立方式に基づくことが現実的なのではないでしょうか。賦課方式に依る限り今の年金財政は黒字です。収支がプラスということが重要です。積立方式に依ればいわゆる過去勤務債務が積立金を大きく上回り債務超過ということになります。年金危機プログラムや年金崩壊キャンペーンに従えば、年金制度の崩壊は必然の事態で消費税増税によるほか救済は有り得ないかの如く繰り返されています。それが最も手っ取り早い対策かも知れません。しかしながら、債務超過(積立金不足)とはいえ収支がプラスで当面の給付は継続できるなら、将来のための積立金を充当するという考えも成り立ちます。その財源が消費税である必然性などありません。法人特別税を創設するなり、所得税率の上限を引き上げるなり、退職金に課税するなり、年金に課税するなり、相続税を増税するなり、年金積立金が充当されるまでの臨時課税を実施するのも一案です。計算上の積立金残高が現実に確保できたなら臨時措置を停止すれば済みます。

 国民年金について、制度の始めに於いては5年年金とか、わずかの保険料支払い期間でも年金を給付する制度が設けられていて、制度普及の意義はあったと思います。これがどこの財源から支出されたものか分からないので的をはずしているかもしれませんが、年金財源からの支出なら始めから積立不足を生じていたことになります。私はそれでも構わないと思っています。ただ、長期的にこれを穴埋めして積立方式を維持することは可能だったはずだと考えるのです。厚生年金も、現に積立金の残高は存在するのですし、これから真剣に考えれば積立方式に近づけることは不可能でないのではないでしょうか。

 年金危機プログラムには何が組み込まれているのか知りませんが、年金崩壊キャンペーンに流されずに、今ある積立金を有効に使って、一時的には財政からの借り入れをしてでも、積立方式をベースにした年金計算に戻して欲しい。とにかく、分かり易く、修正の効く計算方式を採用すべきと考えます。財政に於いては賦課方式もやむを得ないとして、計算は積立方式を崩さず、そのギャップは一時的には公的資金を投入してでも修正できないものでしょうか。

 積立方式を維持することで少子高齢化に対応できるかというと、実は、分からない点があります。「長寿化」というべきでしょうか。一定期間にわたって積み立てた年金保険料を、仮に当初は60歳から75歳までの15年間で取り崩して給付するものと制度設計したものが、もし予想外の「長寿化」によって60歳から85歳までの25年間ずっと給付することになれば、76歳から85歳までの10年分の原資が不足することになります。これに対応するには、当初予算を大きく上回る運用収益を獲得できなければ、年金給付を打ち切るか減額せざるを得ないことになります。或いは、保険料を追徴するという考えも成り立ちます。これは、少子高齢化とは別次元の問題であって、積立方式を採る以上は人口構造がピラミッド型を形成していても解決すべき問題だったと思われます。

 まさかとは思いながら不安になってくるのが、年金額や保険料を算出する前提となる保険数理計算そのものです。不安というのは、積立金管理があまりに杜撰なため、あらゆることが全てでたらめに管理されているのではないかという不安です。第一に、老齢給付に関して、長期間に亘って平均寿命が著しく伸びているのに、この対応が何かなされていたのでしょうか。第二に、死亡給付に関して、自己の老齢年金を受給できる年齢になった人にまで遺族年金を支給するのは、遺族年金受給者の保険料の免除を前提にしないと選別がなされるのではないでしょうか。障害給付に関しても同様です。第三に、国民年金三号被保険者に関して、保険料を支払わずに給付が保証されるのは年金財政の外から保険料が充当されているのでしょうか。まさか過去の給付実績を基準に予測を立てるようなことは無いはずと思いながらも、統計や確率に基づいた数理計算を行うには本人の選択が大き過ぎるところが不安になってくるのです。

 保険数理計算に絡んで一つ余計な話です。今回の改正で、離婚時の年金分割が法制化されたということです。裁判や合意による分割が遡及するのは財産分与のひとつとしても、この先、婚姻期間に対応して分割するというのは何か納得できないところです。女性の年金権を保証する意味でプラスの印象を受ける報道もありましたが、これだと、夫の老齢年金である以上は離婚後前夫死亡時には当然に受給権は消滅するのでしょうし、妻が再婚しても前夫の老齢年金を受給し続けることができるのではないでしょうか。不安定でバランスも悪いものです。年金分割法制について詳しくは分からず勘違いをしているかもしれませんが、どうせなら、保険料支払時から夫婦それぞれの自分の年金として平均寿命など数理計算を基礎に構成するべきではなったでしょうか。保険料支払から年金受給まで積立方式で個別管理できれば、離婚してもしなくても自分の年金を自分が受け取るのなら離婚時に分割を考えることなど必要ありませんし、場合によっては、夫が婚姻期間中に死亡したことで受給者が決まる遺族年金も妻に支給する必要は無くなりそうです。結婚相談では高齢の公務員は遺族年金が大きいので人気とか、年金相談では未亡人を入籍すると遺族年金が打切られるので内縁が有利だとか、年金の選別は財産管理の一環とされています。年金だけが入籍の目的ということは考えられないとしても、保険制度の基礎となる数理計算の確率自体がそれなりの強度で逆選別されていることは年金制度にとって不安材料です。

 年金制度が「保険」である以上は助け合いとされるのは当然です。でも、保険の助け合いはリスクの分散によるものです。明らかに危険率の違う者を一まとめにしては保険として成り立ちません。高齢者の受給ために若年者が保険料を拠出するのが保険とは考えられないし、助け合いとも思えません。これは、「世代間扶養」だけは、勘弁して欲しいところです。役人の退職金など割り増しで保険料を掛けて、役人の恩給や共済からも若年者以上の保険料を徴収して同世代扶養でも何でもやって欲しくなります。何で、金持ちで高所得の年寄りを、明日の仕事も無いようなものがローン抱えて扶養しなくてはならないのでしょうか。積立方式に戻して、「わしの金じゃ」と言って貰えば気が楽になります。

 賦課方式というよりねずみ講式というべきか、規模が小さく裾野が広がりつつある時期に於いてこれは完璧に正しく極めて効率的といえます。常に拡大を続けることが課題です。永遠に拡大し続ける限り崩壊は有り得ません。アジア周辺諸国労働者を強制的に厚生年金に加入させていたなら危機ははるか先に持ち越されていたのかもしれません。国内で労働者供給が落ち着き安定期に入る時期を見極めて方針転換をすることくらい当り前に思うのですが…。

 ハコ物がそんなに悪いとは思えません。通常(何が通常か知りませんが)の、利回りを超える利益を基金に還元できれば問題ないように思ってしまうのです。普通に考えて、国債で運用するよりは自己で事業した方が良いに決まっています。バブルで倒産したホテルは数多くありますが、多くはゴルフ場開発など不動産に手を出したからで、全ての企業が倒産したわけでもないし、ちゃんとやっているところも沢山あります。きちんと利益を出して配当できる事業であれば、どんどんやっても問題ないのではないでしょうか。むしろ、民業を圧迫するようなことは止めてくれ、というのが本音です。きちんとした経営者が、きちんとした営業をすれば、周辺の弱小企業は太刀打ちできるはずもありません。けた外れの報酬を取ったり、必要以上の従業員を雇ったり、常識を超えた納品をしたり、利益を出す筈が損を出した時や計画通りの配当益を生じなかった時の金銭面での責任の取り方は明確にすべきとは考えます。

 各地の厚生年金会館が赤字なのか黒字なのか分かりません。ただ、地方に於いては、この厚生年金会館というのはそれなりに存在価値があったことは確かです。バブル期に自治体がやたらとハコ物を乱造するまで、或いは今でも、地方ではかなり上等な「コンサートホール」のように思っています。これが「払い下げ?」まで通常の利回りと元本を回収できれば、それで当たり前ということです。「グリーンピア」の失敗は何が原因なのでしょうか。単に集客力が弱く存在価値も薄かったのではないかと考えます。そこに利権が絡んでは持ち堪えることはできないでしょう。不思議に思うのは、利権や運営に絡んだ人達の責任は当然ですが、事業に投資する以上はリスクがない筈はなく、これをどの程度に見て誰が引き受けることになっていたのかということです。旧国鉄のように営業行為自体を社会保険庁が事業とするものではないので、誰かが客観的な判断を下さざるを得ないのです。

 住宅融資にも基本的には賛成です。でも、初めから逆ザヤというのは理解できません。私事ですが、借りる側から言うと、一般の金融機関が住宅ローンに積極的でなかった時期に、住宅金融公庫や年金融資というのは大変に有り難いものでした。ただ、金利が硬直していて融通が利かなかったのは残念でした。サラリーマンにとって、銀行からは相手にされず、頼れるのは年金と労金というのが結末だったのです。貸し手としては、企業を相手にするのと違って規模が小さく面倒でしかも管理期間が長すぎるので美味しくは無いようですが、住宅を抵当に取るので回収率はそれなりに確保できる筈ですし、最悪のときは、年金の支払い時に回収するという奥の手も残っているのですからリスクは抑えられているというべきです。本気で小回りを利かすことができれば独占市場になってもおかしくない特殊な融資分野といえるのではないでしょうか。それが初めから逆ザヤというのは納得できません。今からでも、引き下げ交渉すべきです。
きちんとした利回りを確保できないとは考えられません。

 年金と住宅の連携はもっと真剣に考えるべきです。住宅年金融資は住宅取得を最終目的とするもので、年金財政にとっては長期に亘る安全確実な運用先としてあるべきものだったと考えます。年金資産の運用先という以上に、年金制度と住宅融資とを活用し、住宅と年金を深く結びつける制度があります。年金制度としてはマイナーですが、「リバースモーゲージ」を採用する自治体が僅かながら存在するということです。この制度は、住宅ローンの逆(リバース)で、自己の住宅を抵当にして年金を受け取りそこに居住したまま老後を送るというものです。相続人が財産を処分するより住宅も資金も遥かに有効に利用されます。具体的なイメージとしては次の通りです。

1)住宅に抵当権を設定し融資を受ける
(元金は死亡時に返済、生存時は金利支払)

2)一時払い終身年金に加入
(受給する年金から金利・管理費を負担)

3)死亡後に住宅を売却し元金を返済
(実際には死亡に限らず、老人ホームなど住宅を離れるとき)

このような制度が適用される住宅の譲渡所得税を軽減するとか、逆に一般の相続にあたっては相続税と別に年金のための課税をするとか、ということになれば公的年金制度の補完としての役割もでてきます。

*この制度については日本型リバースモーゲージの素案(喜多村悦史)をご参照ください。

 資金運用に当たって、安全面から資金を分散してその一部(どのぐらいが妥当か全く分かりませんが)が債券市場で運用されることも当然かと考えますが、長期の資金だったのですから国債か何かを満期まで保有するのが無難だったのかも知れません。個人的には、私は株には素人なのですが、買い支えなどせずに、ずっと何もしないで持っていただけの方がいい結果が出たのかとも思います。専門家はどんな運用をしていたのでしょうか。

 年金官僚の天下りなどというのは気持のいい話ではありません。官僚には退官後に悠々自適に暮せるほど年金を準備するというのも不愉快です。やはり、働く意志と能力があるなら何か勤め口が必要だということになってしまいそうです。無責任な天下りを防ぐ意味で、特殊法人や公益法人に就職する官僚の退職金は一部を厚生年金の保険料に充当し残りは天下り先に出資させ、再転職の際に赤字があれば穴埋めして退職することくらいはできそうに思うのですが…。税務官僚があちこちに天下りして複雑怪奇な税制を定着させ更には税務申告自体を近寄り難いものにしている弊害から比べれば、年金官僚の天下りなど害悪の程度からして金銭で片付くレベルかも知れません。というより、出資金でも保証金でも、金銭で解決できるような方法を何か準備すべきではないでしょうか。

 彼らの給料は役所の予算ではなかったのですね。年金財政からは年金の給付しか支出されないものと信じていました。もっとも、誰が支払おうと四年で退職金が二千三百万円は見事です。しかも、この金には健康保険料も厚生年金保険料も掛けられていない筈です。世代間扶養などということ言わずに、どうしても払うべき金なら税金と保険料は控除して、同世代で回してはどうでしょうか。余計なお世話かもしれませんが、厚生年金だと調整(減額)されるはずのところ、彼らの年金は、仕事しながら受給できる制度がまだ残っているのではないでしょうか。

 単純に年金の資金は年金の給付以外には一切これを流用しないものと思い込んでいました。でも、運用益を期待できるなら資金の分散は安全策とみます。グリーンピアへの投資は取得費も管理費も不要の国有地で人件費は国の負担する公務員が民業圧迫の事業を行い莫大な利益を生むはずですし、一等地の公務員宿舎も空き部屋なしで踏み倒しなしの安定収入を確保できる筈です。思い違いとはいえ利益を生みそうです。これを止めてしまうのではなくどんどんやってはどうでしょうか。公的資金投入よりもずっと有効かもしれません。

 保険料徴収を国税庁に一本化しろという説が出ています。私は、むしろ、税務職員をクビにして社会保険庁か市区町村で希望者を嘱託再雇用し徴収請負させれば面白いと思っています。そのためには、会社が従業員から税金や保険料を源泉徴収するのであれば、各個人が徴税請負人を窓口にして精算するシステムが必要になります。各官庁からばらばらに徴収される税や保険料をまとめて管理することでその大きさも把握できることと思います。法人にとっては給料総額に一定率で計算した税額や保険料額を納付して報告すれば済みますし、個々人は徴収請負人を窓口にそれを年末調整するように一元的に精算すれば徴収が完了します。源泉徴収されない部分については確定申告のような手続が必要になります。この方が納税者番号制よりもいくらかましなように思います。

 保険料徴収の一本化以上に年金制度そのものの一元化も大きな課題とされています。高山憲之氏は拠出と給付の直結という観点から基礎年金の解体を掲げています。これは、現在のところ定額の国民年金保険料を国民健康保険料に倣った所得比例に組み替え、国庫負担相当分を低所得者のための保証年金として再編するというものです。各種共済年金や厚生年金の一元化以上に、基礎年金・国民年金まで組み込むことが難しいようです。財政の面からの要求ではなく制度自体の必要性として、年金制度をシンプルに一元化することに問題は無いと考えます。ただ、一元化と同時に多様化も求められることではないでしょうか。社会保険として強制される範囲と許容される範囲とが分化しつつあるようです。

 議員年金についてあまり興味もありませんが、議員の歳費から天引きして勝手に運用すれば誰も文句を言う必要はありません。もしかしたら、議員年金には歳費と別に国費が投入されているのでしょうか。地方議員もそうなのでしょうか。割り切って、議員は全員が会社などに所属せず、自己負担の国民年金基金に統一してしまえばすっきりするように思います。

 
 

日本型リバースモーゲージの素案(喜多村悦史)

  1. 制度創設の目的
    1. 高齢者が保有する住宅の資産価値を自分と配偶者の生計費として活用し、公的年金の補完とする。
    2. 高齢者が住み慣れた住まいや地域で暮らし続けられるようにする。
    3. 住宅が、社会資産としてスムーズに次世代に引き渡されるようにする。
    4. 若いときに良質な住宅取得に努力した者が老後に報われる自己責任社会を作る。
    5. 住宅のメンテナンスなどの産業振興を通じて国民経済の活性化を図る。
  2. 日本型リバースモーゲージの概要
    1. 65歳を迎えた人がその判断により、リバースモーゲージ契約に参加する。制度参加時期による不公平が生じないよう、各年度の参加者ごとの集団として分離勘定にする。
    2. 対象住宅の将来の価格を予想し、本人・配偶者の生存中、数理計算に基づく年金が支給される。特定個人年金というが、数理計算に合致する範囲において、支給開始年齢や支給額などの選択を認める。
    3. 特定個人年金は公的年金のシステムを通じて支給し、事務経費を節減する。
    4. 特定個人年金の支給に必要な資金として公的年金の積立金を充てる。
    5. 高齢者はその住宅に継続して居住できるが、住宅の管理は制度運営者が行うことにし、住宅の劣化を防止する。
    6. 契約者および配偶者の死後、住宅は若い世代に売却し、代価は公的年金の積立金に償還される。
  3. 留意事項
    1. 制度は公的なものであるが、適正な普及・管理コストの軽減の観点から極力民間機関を活用する。
    2. リバースモーゲージ契約は、住宅の売却と貸借を組み合わせたものになるが、それに伴う税制の特例を検討する必要がある。特定個人年金にかかる所得税についても同様である。
    3. 将来の住宅資産価値を予測することになるので、その手法の開発や認定者の資質確保が必要になる。
  4. その他の効果
    1. 住宅の高耐久化が進み、真の資産社会に移行する。結果的に、住宅水準のレベルアップにつながり、いわゆるシックハウス問題の解決にも寄与する。
    2. 若い世代が住宅取得のために消費を切り詰めることが避けられ、年金などの社会保険料負担能力が高まる。
    3. 老後のための貯蓄必要度が低くなり、消費が拡大し、経済に好影響をもたらす。
    4. 自主運用の方針が決まっている公的年金積立金にとって安全確実な運用先が確保される。

日本型リバースモーゲージの構想(喜多村悦史;2000)

2004.8.17
up 05.2.26