年金について考える-3-

解竜馬
浦島五月

国民年金賦課方式への批判(from 解)

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日本的発想というべき「賦課方式」

現在の共済年金、厚生年金制度は賦課方式と考えてよろしいでしょうか?国民年金は積み立て方式から賦課方式に82年から変更になったと理解してよろしいでしょうか?
「国民年金」は、ずいぶんと「日本」的な制度であると思います。まだまだ不勉強ではありますが、年金と健康についての問題は、やはり「思想」の問題だと思います。

自営業者に受け入れ難い「国民年金賦課方式」

相互扶助という「思想」の具現が、「国民年金」であると考えます。何故82年から国民年金を、賦課方式に変えたのか。ここに問題があると思います。
ご存知のとおり、国民年金でやっていこうとするものたちは、零細や自営業者です。日々の生活資金を何とか捻出するのに躍起で、年金を払う経済的余裕すらないときが、必ずめぐってきます。まともに勝負してきた事業主なら、その傾向は強いと経験的に思う。だからこそ、「相互扶助」の精神が、積み立て方式で、具体化できるわけです。
賦課方式は、国民年金制度を受け入れるものたちにとって、非常な精神的負担である。積み立て方式なら、払わないものと払えないものの制度的差異を作れるだろうと思うし、より柔軟な制度的運用が出来る。それと年金受給の放棄の例外を、「年金改革法案」は盛り込んでいるのですかね。そうでなければ、「年金」一元化など、反対ですね。
厚生年金、共済年金のような、組織に「寄生」する心的傾向を作る「制度」こそ廃止し、国民年金のような、国家を使うという意思を共有する<われわれ>であることの再確認の出来る「相互扶助」の思想を具現すべきだと考える。年金財政としては、先の紺谷と二木の引用にもあるように、「破綻」はしていません。

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マスメディアが煽る「不安」、国家にお膳立て

マスメディアが年金財政の振りまき、それを国家が制度的に回収する。この手の制度的搾取、もしくは、「意思」搾取、べたな思考の方法が、マスメディアによって実体から離れた非現実的「不安」を媒介に、国家が制度的に繰り延べていく方法が、あらゆるところで権力の二重性を活用しながら、採用されていると認識してます。そのたびに、こちら側=<われわれ>の思想の訃報を聞くようです。
言い換えれば、この動きは、こちら側の、<われわれ>であることが出来る「箇所」を、また、不可視にされた「階級」性を、いっそう見えにくいところに追いやり、「国民国家」という一元的に共同幻想に纏め上げていく、一連の「支配」の動きだと考えます。

☆上記コメントへの返答(from浦島)

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日本的発想というべき「賦課方式」

――「恩」給の如く、御「上」から賜る?

共済に関しては詳しく解かりませんが、日本の公的年金制度は賦課方式と理解すべきと考えます。
自分の金を自分で受け取る積立年金より、目的税を賦課するように集金システムを作り上げて、御「上」からの「恩」給の如く賜るのは、なるほど日本的ということですか。

自営業者に受け入れ難い国民年金「賦課方式」

――不公平と思われないためには

ここで出て来るのが、国家を媒介とした「社会保険」共同体システムということです。強制力に於いて任意の民間保険と大いに差異があります。単に強制積立の再配分ではなく保険数理(それ自体は幻想と認識すべき)を援用することで「相互扶助」に客観性を付与します。
保険であることはリスクによる再配分を制度化し、保険料支払に応じて給付が制限されることも説得力を持ちます。長期間遺族年金や老齢年金を受給する人がいる一方で、年金受給前に亡くなる人もいます。保険としてこれを受け入れれば、誰も不公平とは考えません。

――安易に破綻と決めつけるべきではない

年金制度は長期に亘って財政計算されるべきもので、今月集金した金を来月すぐに配分すると、集金不足で支払超過になります。現実の資金繰りは賦課方式に拠らざるを得ないとして、給付計算は保険数理に基づく積立方式を基礎にするのが当然で、必要なら財政による下支えを求めたところで破綻というべきではないと考えます。

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マスメディアが煽る「不安」、国家にお膳立て

――マスメディアの一人勝ち?

あちら側の濃密な関係を垣間見てしまうと、<われわれ>の無価値性こそが新たな幻想を築くのかと考えます。私には意思も思想も階級性も彼方で一人勝ちのマスメディアに吸い取られたように思われます。

☆上記浦島コメントについて(from解)

「相互扶助」について補足すると

言葉足りなかったけど、「相互扶助」が日本的集団主義的であるということです。「相互扶助」という原則の制度的具体化が「国民年金」で、「日本的」な知恵とは言えないかということです。日本的という認識に、ことさらな卑下意識を持つ必要も無ければ、また、逆に、ことさらな日本独自のという評価を持っているわけではありません。まして、恩給としてあるなどとの意識は、持つ必要も無い「受給の権利」ということですよね。積み立ててるわけだから・・・。

二木・紺谷両氏の問題提起の意義

賛成ですねえ。賦課方式を、権力側に<われわれ>が代執行させているという意思であるとして、考えるのが権力の二重性の一つの活用方法ですよねぇ。
ただ、<われわれ>は、年金財政が破綻していないと認識してますが、それを「知らない」、「認識しない」で議論を組み立てている人たちが、「問題意識」あるものの中にも、あまりにも多いと思います。俺も不勉強のため、「仕方ないなあ、年金一元化もあってよしか」などと思っていたわけです。
俺にとっては、あの二木たちの議論は、議論の組み立てを完全にかえる認識の枠組みを提供しくれた意義のある材料だったわけです。

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マスメディアに対抗するもの

俺の知る限り、問題意識のあるBLOGやサイトの中で、それぞれの専門性を持ったものたちが、賛否はともかくとして「発言」をしてますよ。それと、ラジオのAM放送の視聴者「意見」参加番組「アクセス」にも――勝谷誠彦はこの番組を批判してますが――、賛否はともかく、意識の高い人がいると認識しています。
それらは社会構造的には、「大きな物語」にはならないでしょうが、<われわれ>の無価値性の認識に耐えられる年齢のものたちが、時に投げやりなり、時に開き直りながらも、関わって行くしかないと思います。しんどいことではありますが。