ジャズCD、行き当たりばったり

-No.1

岡崎凛
 

―やたら長い前置き―

<名盤集めよりもライヴ演奏を!>

 ジャズの名盤紹介をしようという人間が、一方で「ジャズ名盤コレクタ−なんかにならないほうがいい」と思っているとしたら、ずいぶんいい加減なことだと思われるかもしれませんが、それが私の本音です。本当にジャズが好きであれば現在活躍中のジャズプレイヤーに注目すべきであり、とっくの昔に他界していたり、活動を休止しているような大物プレイヤーの名盤など買い揃えたりすべきではないのです。ジャズの素晴らしさは演劇と同じく、パーフォーマーと観客の間に生まれるたった一度限りのものだと断言したら、録音されたプレイを否定することになるので、そこまでは言いません。ただし、ジャズはCDかレコードでしか聴いたことがなく、一度も生でジャズ音楽を聞いたことがないというファンの方がいるとしたら、私はそれを邪道だと言いたくなります。もちろん、ライヴ演奏を体験するチャンスがほとんどないという人たちを非難する気はありません(今の私がまさにその状態です)。しかし名盤蒐集に金とエネルギーを費やすのであれば、現在のジャズを追うべきだと思うのです。

<そう言っている自分はどうかと言えば……>

 こんなことを言っている私自身、ここ10年くらいまともにジャズの現在を追っていません。ライヴは十数年前に近藤等則やアート・アンサンブル・オブ・シカゴを聴きに行って以来、まるで御無沙汰しています。クリスチャン・マクブライドのような素晴らしいベース奏者が活躍していることさえ、気づかないままでした。
 いつごろからか、自分がどうしても追い続けたい何かが、今のジャズ・シーンに欠けていると感じはじめたのです。チック・コリアが嫌いになったとか、そういうわけではないのですが、どうしてもジャズに関わりたいという気持ちが弱くなっていました。そのうちにやたら多忙になり、まるで遠のいてしまいました。
<しかし、今は…過去を含めてジャズを追いたい!と思っております>
 UAやMUROなど、現在のロック、ソウル、ラップの音楽にやたらとジャズ要素が含まれていることもあり、ジャズをまた聴きたいと思うようになりました。そしてようやく気づいたのですが、現在、レンタルを含めCDショップでのジャズの扱いはたいてい悲惨です。聴きたいものがすぐ見つかる店はなかなかありません。インターネットの通販はかなり充実しているようですが、できればCDショップでジャケットを見て買いたいものです。
 だんだん考えるようになったのです。とりあえず大阪地域のこの状況は打開すべきではないかと。ジャズのライヴに行くなり、名盤や新譜を買うなりする層が増えないと、ジャズはますますビジネスとして成り立たなくなる。CDショップの寂しいジャズコーナーがますます狭くなる。ジャズファンの数を増やすべきだと。もちろん道は遠く、私のようなものが一人叫んだぐらいではどうにもなりませんが、一人でも賛同者を増やしたいという願望を持ちつづけたいと思っております。夢のまた夢かも知れないのだけど……

<名盤・新譜紹介をするにあたって>

 そんなわけでジャズ雑誌などほとんど買ったことがなく、レコードコレクターでもない私が、はるか昔に学生時代のバイト先で仕入れた知識をベースに、ジャズの名盤やら新譜を紹介するつもりでおります。名盤に関しては、主として雑誌など書籍である程度評価が確認できるものを紹介させて頂きます。さほど得意でない分野も多いのですが、これならお薦め、という愛聴盤はたくさんあります。基本路線はメインストリームジャズとその延長線上にあるものとし、できるなら一般に過小評価されているとおぼしきものを多く紹介したいと思います。

 
<前口上その2>

 今後取り上げたいアルバムについて最初に「前置き」を書いてから、2年ぐらい経ちます。あの頃は、10年以上聴かないまま放り出していたジャズを、もう一回聴きなおそうという妙な意気込みがあったのですが、長過ぎたブランクのせいで、自分の聴きたい音楽の傾向が見えなくなっていました。また情報収集も下手になっていて、聴きたいものになかなか出会えませんでした。それでも一年ぐらい悪あがきを続けるうちに、聴きたいもののが何か、どこで入手できそうか、ある程度把握できるようになりました。それは良かったのですが、今度はあまりに欲しい音源が多過ぎて、収拾つかなくなっています。
 ジャズに限らず、音楽に関しては、全般的に雑食嗜好が激しいタイプなので、特定のアーティストを追うのはあまり得意ではありません。興味を持ったアーティストの新譜を全部必ずチェックするこまめさがありません。そうしたいとも思うのですが、聴きたいものが多過ぎて、そうもいきません。
 当初考えていたような、ある程度の「万人お薦め」路線のアルバムを紹介するのは、私には無理だし、そんなことを考えても面白いものは書けないと思うようになりました。
 では何を取り上げて行くかというと、「誰かに聴いてもらいたい」と思ったり、特に好きになれなくても、自分の感性に引っかかる何かがあるもの、ということになります。自分のフェイヴァリットの枠を捨て去ることは到底できません。
 適当な商品価値を盛りこんだだけで、何の新鮮さもないものは、一番つまらないと思います。うっかりこういうものを買ってしまい、腹立ちまぎれに悪口を並べたいときもありますが、こういう衝動は押さえこむことにします。
 既に掲載した評をそのままにするか、書きなおすか、悩むことがあります。キース・ジャレットの3枚のアルバムについて書いた長尺の評は、背伸びし過ぎた(トリオに関するあたりが特に)という思いがあります。しかしまあ、未熟もいいところですが、あれが出発点なのだから仕方ないと割りきることにします。
 今後も行き当たりばったりに評を書きますが、ご意見ご感想いただければ幸いです。よろしくお願いします。

2001年11月 岡崎 凛




<ウェイン・ショーターの
  ブルーノート・ベスト盤について>
THE BLUE NOTE YEARS/ WAYNE SHORTER
ブルーノート・イヤーズ/ウェイン・ショーター

 ブルーノート・レーベルの創立60周年記念企画として、スター・ジャズプレイヤー20人のベスト盤が企画・発売された。この一人ウェイン・ショーターは、20名の中では若手に分類される。先に発売されたブルーノート・イヤーズ前半10枚の最初を飾っているのは、彼が在籍したジャズ・メッセンジャーズを率いていたアート・ブレイキーである。20枚のなかから選ぶにあたって、マイルスやコルトレーンにも手を伸ばしてみたが、さして迷うことなくショーターを選んだ。
 このベスト盤に関しては、ショーターの音楽を多少知る人なら、恐らくだれもがある程度似通った意見を言うだろう。彼の音楽の変遷を振り返る上で、極めて重要な曲ばかりである、等々。こうした学究的な観点から見ても、参加しているプレイヤーの豪華さから言っても、関心を呼ぶ企画に違いない。だがそんな客観的な評定はともかく、自分が聞き込んだこの時期のショーターの、どの曲が選ばれ、どれが割愛されたか、気にならずにはいられなかった。 原盤となるアルバムは、「ナイト・ドリーマー」(1964.4.29録音) に始まり、「スーパー・ノヴァ」(1969.8.29録音) までの計9枚。全体は10曲で、「スピーク・ノー・イーヴル」(1964.12.24.録音) のみ、一枚のアルバムから2曲が選ばれている。
 何しろこの9枚うちの最低5枚は、間違いなく名盤と呼ばれるに相応しく、ほぼ評価が確立している。ただし、名盤であるにせよ「スーパー・ノヴァ」はかなり難解なジャズの部類に入ると思うので、万人お薦めとは言い難い。その後ジョー・ザヴィヌルと結成したウェザー・リポートへと移行する彼の音楽を知るには、確かに欠かせない一枚ではあるが、彼の怪奇趣味があまりに濃厚だ。(そこにのびやかなブラジル風女性ボーカルが挿入され、唖然とさせられる。)とはいえ一癖も二癖もある強力な面々が脇を固め(ドラムにディジョネット、ベースにミロスラフ・ヴィトウス)、演奏にはただならぬ緊張感が漲り、圧縮されたエネルギーがほとばしる。このタイトル曲でショーターが初っぱなに聞かせるソロはスピード感とリズム感に溢れ、呪術的イマジネーションを見事に音にのせている。さらに切り込むようなギターの不協和音、挑むようなドラムとベースがオール・オーヴァーに炸裂する。(ギターはジョン・マクラフリンとソニー・シャーロック)即興演奏のスリルに満ちているのに、不思議なほど完璧な構成が感じられる。
 このブルー・ノート・イヤーズでは「スーパー・ノヴァ」がラストを飾り、劇的な変化で締めくくりとなる。ウェイン・ショーターの音楽が約5年の間にどのように変容するか、あらためて聴くことは、興味深く、そして楽しい。1964年録音の3枚の原盤については、ウェイン・ショーター独特の世界が現れつつあるとはいえ、あの独特の難解さは感じられない。この頃のショーターも実に素晴らしく、聴き込んでいるうちに「コルトレーンの影響」とかいうお定まりの形容詞など忘れてしまう。(マッコイ・タイナーのピアノ、エルヴィン・ジョーンズのドラムというだけで、コルトレーンを思い出すのは当たり前なのだが)しかし徐々に彼の音楽は、彼の音楽を語るときにしばしば持ち出される言葉だが、<黒魔術>指向に傾いた独自の音楽へと発展していく。これが先に紹介したスーパー・ノヴァに繋がる。
 悠雅彦氏のライナー・ノートによれば、マイルス・デイヴィスは「ショーターのモード技法や<黒魔術>的サウンドに着目し」、彼の5重奏団に音楽監督として彼を迎えたということである。その後のマイルス・デイヴィズ・クィンテットによる「マイルス・スマイルズ」や「ネフェルティティ」といった作品では、ショーターの<黒魔術>指向がますますはっきりと現れている。評論家の意見によれば、彼はコルトレーンに多大な影響を受け、モード奏法を探究したとされるが、そのイマジネーションの源泉が<黒魔術>であるということである。
 ショーターは叙情的なメロディーを作るのも得意とした一方で、グロテスクな要素も異国趣味も何でも旺盛に取り込んだ。彼の魅力は、ごった煮的なものを受け入れる寛容さと卓抜な構成力にある。(これが後のウェザー・リポートでの活動につながる)65年頃のショーターにもすでにこの傾向があり、貪欲な探究心を持ち、黒魔術趣味という路線は変わらなかったものの、あの手この手で変化を求め続けている。
 ここに名を連ねたプレイヤーだけ見ても、関心は尽きない。トランペットにリー・モーガン、フレディ・ハバード、ピアノにマッコイ・タイナー、ハービー・ハンコック、ベースにレジー・ワークマン、ロン・カーター、ドラムスにエルヴィン・ジョーンズ、トニー・ウィリアムズ、ジョー・チェンバーズといった豪華な顔ぶれ(他にも素晴らしいプレイヤーが参加)が揃い、これでもかと名演奏を聴かせる。特にエルヴィン・ジョーンズには、いつもながらの複雑でパワフルなドラム(収拾できるのかと不安になるほど音を分解し、見事にまとめあげてしまう)に圧倒される。「ナイト・ドリーマー」と「ジュジュ」を聴き慣れていると、エルヴィンのドラムがもっと聴きたい気がするが、それは仕方ないとしよう。さらにハービー・ハンコックの空前絶後のプレイには畏敬の念すら覚える。ハンコックの素晴らしさは数枚の名盤で知るのは不可能で、サイドにあって限りなく輝く彼を幾度でも発見することになる。この二人以外のプレイヤーのに触れないのは心残りだが、割愛することにする。
 たとえこのベスト盤と重複しても、「ナイト・ドリーマー」、「ジュジュ」、「スピーク・ノー・イーヴル」の中の1、2枚は手元にあって構わないと思う。雑誌などでの評価の通り、何度聴いてもスリルが消えない。この3枚が一年足らずの間に続けて出たということは、よほどこの頃は彼にとって充実した時期だったのだろう。まるで彼も、エルヴィン・ジョーンズや他のプレイヤーも、これからの彼の変化を予感するように、興奮と緊張に満ちた演奏をしている。
 というわけで、滅多にベスト盤を買わない私だが、このベスト盤は愛聴盤となりそうである。

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The Blue Note Yeas
<まだまだ新譜>
イン・ナ・メイズ/峰 厚介クインテット
In a Maze/Kousuke Mine Quintet
ヴァーヴ/ポリドール、1995年3月録音
峰厚介 sax/ 大口純一郎 p/ 秋山一将 g/
岡田 勉 b/古沢 良治郎 d

 峰厚介を久しぶりに聞いてみたいと思ったのは、スウェーデンのジャズ・ユニットというグループのCDを聴いていて、急に彼の随分前のライヴを思い出したからだ。それで、峰厚介がネイティヴ・サンを率いて活動していたころのアルバムを探してみたが、CDショップでは見当たらなかった。そしてどういうわけか中古CDショップで、かなり新しい録音のこのCDを見つけ、思わず買ってしまったわけである。聴いてみると、ネイティヴ・サンより以前のアルバム「アウト・オヴ・ケイオス」に近いという印象を受けるのだが、手元にないので記憶に頼るしかなく、正確ではないかもしれない。しかし確かに、あの頃の峰のサックスにはコルトレーンの影響を感じずにはいられなかった。彼自身、あるインタヴューで、「あの頃はみんなコルトレーンをやっていましたから」という話をしていた。
 ネイティヴ・サンのライヴを見たのが78年ごろである。その頃の峰は、いわゆるフュージョン系とはっきり一線を引きながらも、このアルバムよりずっと明るい音楽を聴かせていたと思う。当時はフュージョン勢、といっては大まかだが、青空、太陽というような明るいイメージで売る音楽が多かった。ネイティヴ・サンもその名の通り明るさを売り物にしていたが、基本的にジャズ路線から外れることなく、多くのファンを魅了したグループである。メンバー全員がのびやかに、とことん楽しんで演奏していたのを思い出す。だが、当時の峰は、単に売れ筋だというのことで、あのような路線を選んだわけではない。彼の場合、世間受けのよいフュージョン系のサウンドを妥協としてでなく、新たな突破口を見出すための活力剤のように取り込み、商業路線には決して流れなかった。彼の音楽の根底は新境地を求めてあがきつづけたコルトレーンとマイルス・デイヴィスの軌跡と大きく関わっている。この「イン・ナ・メイズ」は、そこに徹底してこだわっているといえるだろう。そして、彼がジャズのこの部分にこだわっていることに、強い共感を覚えずにはいられない。彼の嗅覚は、常にジャズにおけるもっとも良質で、発展の可能性のある部分を嗅ぎ分けている。
 峰厚介クインテットがこのアルバムで展開している音楽には、独特の重苦しさがある。峰のサックスはパワフルだが、時として雲間から差す光が微妙に明るさの変わるように繊細な音になる。常にコントロールされ、だらだらした嗚咽のようにはならない。ドラムは脇を固めるというより、前面に出て、ソロをとる楽器の音の間に切りこむようなプレイである。特にこのクインテットの個性を作り上げている楽器はギターだろう。自己陶酔するような弾き方はまるでなし。スピード感が爽快で、全体の重量感とのコントラストが心地よい。ピアノはソロを取るときの流麗さも格別だが、バックでのレスポンスの良さも見事。あまり派手ではないベースは、とくに早弾きのギターとの相性がいいようだ。
 彼らの演奏から、70年頃のジョン・マクラグリンや、ハンコック、トニー・ウィリアムズをつい思い出す。こうしたミュージシャンの名を連ねることは、演奏家に対してレッテルを貼るような失礼な書き方かもしれない。しかし、彼らがコルトレーン、マイルス、ショーターなどの開拓した音楽に傾倒しているのは明らかである。とはいうものの、峰たちがやっていることはこうしたジャズ界の先輩の解釈ではない。彼らのやりたいことがたまたま先人たちとやっていた路線と一致しているのだ。峰のクインテットが聴かせるのは、一切の妥協を拒絶し、これが自分の目指すものだという、決意を感じる音楽である。そして曲目は全て峰と岡田勉のオリジナル。そして近頃お定まりの、スタンダード曲は入っていない。こうした姿勢にも峰厚介の健在振りが感じられ、嬉しく思わずにはいられない。
 彼らはその後、97年にBALANCEZという新作を出しており、さらに現在も活動中で、1999年8月末には、このクインテットのメンバーのまま東京上野GH.nineに出演予定とのことである。さらなる活躍を期待したい。

In a Maze

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