Brad Mehldauについて(1)

 
 

▼2005年2月のBrad Mehldau Trioのライヴと

この秋に聴いた新作CD▲

 

1.Knives Out (Greenwood/Greenwood/O'Brien/Selway/Yorke)
2.Alfie (Bacharach)
3.Martha My Dear (Lennon/McCartney)
4.Day Is Done (Drake)
5.Artis (Mehaldau)
6.Turtle Town (Mehldau)
7.She's Leaving Home (Lennon/McCartney)
8.Granada (Cheek)
9.50 Ways To Leave Your Lover (Simon)
10.No Moon At All (Evans/Mann)

Brad Mehldau (piano)
Larry Grenadier (bass)
Jeff Ballard (drums)

Recorded on March 13,2005 at Avatar Studios,New York,NY
Nonesuch 7559-79910-2

 

実は、「どこがいいのか分からない」というのが、Brad Mehldau(ブラッド・メルドー)のトリオを初めて聴いたときの感想でし た。すっかり彼のファンになった現在では信じられないことなのですが、その時は全く心に響くものがなかったのです。体温の感じられない、頭で構築されただけの音楽だと分類してしまいました。
そんな考えが一転したのは、アルバムの“Anything Goes”を聴いてから。というより、その中の“Get Happy”を20秒ぐらい聴いたら、別世界が見えてきました。とにかく、引き込まれるように聴きました。Brad Mehldauの音選びには、きれいにまとまったものが見えた瞬間に、視界がぐらりと反転するようなシナリオが用意されているようです。和音など、音楽の専門知識がないので技術的な説明はできませんが、リズムがぶつ切りされる感じに振り回されながら、巧妙に逸脱する音が構築する世界に圧倒されるスリルは、他のどのピアニストでも体験できません。まずは端正な美しさを描き、さらにその陰影を描きこみ、どんどん変化していく絵画を見るようでもあります。

彼の演奏を生で聴きたいという思いが次第に募り、2005年2月に彼のトリオが来日したとき、大阪のBlue Noteに行きました。来日公演の情報は、私に“Anything Goes”を薦めてくれた、京都のこずえさんから聞きました(こずえさんには川嶋哲郎ソロライブの記事でも登場頂いています)。自分はこずえさんほど熱心なファンではないのですが、自分の好きな曲にたくさん出会いたくて、2ステージ入れ替え制の両ステージを聴きました。2階でしたが、彼の左手がよく見える席でした。すでに用意されたものと、その場で生まれたものが、他の楽器の音と融合する術を、全て知り尽くしたように、もしくは知り尽くすことを自分に強いるように、演奏している彼が目の前にいました。

演奏が始まると、周囲は全く目に入らなくなり、会場という空間にいることさえ忘れそうでした。トリオの織りなす世界に入り込み、正直言って、何を聴いたか所々思い出せません。結局一番頭に残っているのは、Larry Grenadierの荘重なベースソロで始まるレイディオヘッド(Radiohead)の曲、“Everything In Its Right Place”と、ビートルズの“She's Leaving Home”です。二つ目については、自分が特に好き なこの曲をここで聴けるとは全く予想していませんでしたので、興奮を抑えて聴きました。曲の途中から、やはり見事に彼の味付けになり、自分の思い入れは解体され、また最後に戻ってきます。こちらも全神経を使って聴こうとしましたが、時には圧倒され、流されるままに聴きました。この夜の記憶は数ヶ月経って、全体的には曖昧になりましたが、部分的にはいっそう鮮明になるものがあります。

この来日のときには、ドラムがJorge Rossy(ホルヘ・ロッシィ)からJeff Ballardに代わっていました。彼のトリオでのJorge Rossyの果たしてきた役割の大きさを考えると、彼脱退を惜しまずにはいられませんでしたが、トリオの根幹となるものは何も変わらないと思いました。いつもなら、ドラムの演奏にはあれこれ文句をつけるほうなのですが、ついついBrad Mehldauのピアノの音ばかりを追ってしまったようで、この時はJeff Ballardの音を隅々まで聴くところには至りませんでした。演奏に夢中になりすぎて勿体ないことをしたのですが、このライヴから数ヵ月後に出た新譜の“Day Is Done”で、彼の充実した演奏に再会しました。

Day is Done

ここからやっと新作“Day Is Done”の紹介になります。新生メルドー・トリオの門出を飾るこのアルバムのタイトルは、4曲目に収録され、大阪公演でも演奏されたNick Drake(ニック・ドレーク)の作品から取られたものです。Brad Mehldauはこれまでもの曲を多く演奏していますが、これもまた、もの悲しいオリジナル作の雰囲気を受けついだ作品。

(Nick Drakeは商業的に成功しないままに若くして世を去ったシンガー・アンド・ソングライターで、近年再評価がどんどん高まった人ですが、どうも暗いエピソードが気になることもあり、関心はあったのですが、CDを買っていませんでした。しかし、Brad Mehldauが取り上げたことをきっかけに、どうしても聴きたくなって2枚購入しました。切々とした歌声に宿るものがじわじわと伝わり、Brad Mehldauの演奏の端々を思い出しながらも、今度はNick Drakeの魅力に引き込まれてしまいました。)

Brad Mehldauのトリオが取り上げるのはRadioheadやNick Drakeの作品にとどまらず、今回のアルバムではビートルズ(2曲も!)、バート・バカラック、ポール・サイモンの曲を取り上げています。このトリオの初期のことは知らないのですが、ジャズと いうジャンルにこだわった選曲はしていないようです。

このCDには、あのライヴ以来、是非もう一度聴きたいと思っていた、“She's Leaving Home”が入っており、聴く前から期待過剰気味でした。そういう時はたいていがっかりするものですが、これは全く期待通りでした。彼のピアノを聴きなれてきたせいかもしれませんが、以前より聴きやすい仕上がりのように思います。といっても、時々入り組んだ迷路に入り込んでしまったような感じがするのは同じなのですが。

まずは1曲目の、Radioheadらしい曲調の“Knives Out”は、Jeff Ballardが終始スピーディに叩き出す音を基調にピアノが動き回る、緊張感溢れる作品。これと対照的にゆったりした2曲目に続いて、変形と回帰を繰り返す3曲目のピアノソロ(アプローチの仕方は“She's Leaving Home”の場合と似ています)。

リズミカルに音を刻むベースで始まる“Day Is Done” は、Drake作品特有のメランコ リックな雰囲気が押さえられ、以前より明快な仕上げになった(特に曲の前半が)気がします。こうした変化はドラムのJeff Ballardの持ち味とも関連がありそうです。

ストレートに美しいものを提示した後、それに加えられる歪みの比率が自分の好みにぴったりなのか、さらに、繰り出す手数の多さに圧倒されるためか、没入するように聴いてしまいますが、やはり癖のある音作りをするピアニストなので、リスナーの好みは分かれると思います。例えば6曲目のオリジナル曲は、いかにも彼らしく複雑(怪奇?)に発展する作品で、足元がぐらぐらするようなスリルがありますが、かなりとっつきにくい印象もあります。やはり、8曲目の“She's Leaving Home”のように、入り組んだ世界に入りこむきっかけのある作品のほうが、馴染みやすいです。ライヴで聴いたので、どう展開するか、多少想像はできたのですが、結果は予想以上でした。このアルバムで一番楽しめる曲はどれかと訊かれたら、迷いなくこの1曲を選びます。

続く9曲目は壮麗で風格があり、何色も絵の具 を重ねたような作品。ベースとドラムのサポートもぴったり息が合っています。タイトルそのものも面白い10曲目はライヴでも聴いたPaul Simonの曲。Larry Grenadierのベースソロが冴え渡り、ドラムが時に細かく音を刻み、そしてぴたりと止み、ぐらぐらと闇を走るピアノソロ。全てが絶妙にコントロールされて、ラスト曲に続きます。最後の2曲のLarry Grenadierの演奏を聴いて、なんとなくJimmy Garrisonのベースを思い出しました。それもあってか、最後はジャズのトリオらしくまとめた印象を受けました。

このトリオが、どのように曲想を共有し、作品に仕上げるのかは想像するしかありませんが、これほど複雑なものが、実に自然にまとまっているということは、勢いで仕上げずに、相当長い時間をかけているのでしょう。初めは、Brad Mehldauのトリオというのは、ピアニストの超絶技巧との戦いに2人のセコンドがついているようなものだと考えていましたが、それは違っていました。確かにリーダーの色に染まったトリオではありますが、そうであっても、3人の演奏が最大限のスリルを持つ瞬間を共有しているが、よく分かります。Brad Mehldauには、まだまだトリオで取り上げたい曲がたくさんありそうなので、今後どんな曲が出てくるか、楽しみに待ちたいと思います。

(2005年10月 岡崎凛)

Nick Drake

参考作品
Nick Drake/Five Leaves Left
Island YICY-3037 (Universal International)