Aの第二幕(セシル・テイラー)

浦島五月


 

 フリージャズという理屈っぽくて過激で難解なイメージと、セシル・テイラーというどこかお洒落でソフトな名前の響きと、大きな鼻の穴と硬そうで縮れた髭面の写真と、私にはその印象が分裂してしまい、統一されたセシル・テイラー像が得られないまま敬遠気味になっていた。そして「Aの第二幕」は面白みのないタイトルだけで食わず嫌い、「アキサキラ」はつくりもの臭いジャケット写真を見ただけで手を引いていたのだが、今回、初めてこの「Aの第二幕」を通して聴くことができた。

 フランスShandar盤のアルバムジャケットは、表面には“Nuits de la Fondation Maeght”とタイトルがあり、裏面に小さく“Second Act of A”“enregistre en public a Saint-Paul-de-Vence Le 29 juillet 1969”と記載されている。更に裏面にはCecil Taylor(Piano voix) / Jimmy Lyons(Saxo alto) / Sam Rivers(Saxo tenor, Saxo soprano) / Andrew Cyrille(Drums)とカルテットのメンバーが記されている。ついでながら、Shandar盤ジャケット内側の写真ではジミー・ライオンズがフルートを唇にあてているところが印刷されているが、録音ではどこでプレイしているのか聴き分けられない。日本でのタイトル「Aの第二幕」の命名から芝居か舞踏のバックを勤めたのかと予断していたが、聴いてみるとそうではなく演奏をパフォーマンスとしていたようだ。LPで3枚6面に亘り延々と2時間近くに及ぶライブは、いわゆるフリージャズの典型のような演奏であり、その展開は予め構成された舞台を見るかのような雰囲気もある。

 セシル・テイラーには、62年コペンハーゲン“カフェ・モンマルトル”でのライブ盤「イノベイションズ」「ネフェルティティ」、73年東京厚生年金会館での「アキサキラ」のライブ盤があり、この69年のフランス“マグー”でのライブレコーディングはその間の時期になっている。メンバーは“モンマルトル”がジミー・ライオンズ(as)とサニー・マレイ(ds)のトリオ、マグーではサニー・マレイがアンドリュー・シリル(ds)に替わって更にサム・リバース(ts/ss)が加わったカルテット、“アキサキラ”ではサム・リバースが抜けたトリオとなっている。スタジオ盤では66年にブルーノートに「ユニット・ストラクチャー」「コンキスタドール」を吹き込んでおり、68年から後の時期には「インデント」「サイレント・タング」など幾つかのソロアルバムも残されている。振り返ってみると、セシル・テイラーが最もパワフルだったと思われるこの60年代から70年代、メンバーの増減はあってもソロを除いては殆どにジミー・ライオンズとアンドリュー・シリルが付き合っていて“セシル・テイラー・ユニット”と名付けられている。

 “マグー”のライブに細かな曲名は付されていないので、その展開をLPレコードの盤面で区切ってみた。まず、第1面(Face A)、これだけで十分なほどの壮絶さ。メンバー全員でのオープニングからピアノとドラムのデュオに移り、圧倒的なドラムのパルスとピアノの中低音のうねりが果てしないまでに続いて、ピアノの高音がピュンピュンと跳ね始めたあたりから第二面(Face B)に入る。押さえ気味にアルトサックスとテナーサックスが加わると、次第にカラフルなサウンドが共鳴するように膨らみ、ピアノはパルスから時折リズミカルな展開を見せる。ジミー・ライオンズだろうか、R&Bのようなリフや小節の効いたフレーズを聴かせて一息。第三面(Face C)に移ると、小刻みなフレーズを延々と重ねて四者が絡み合いながら昂まり、隙間なく音で埋め尽くしたかという頃合にセシル・テイラーのソロに唸り声(voix)が入る。ドラムが相槌を打つようにサポートするとスキャット風ノリノリ状態。第四面(Face D)では、サム・リバースのソプラノサックスがのたうつ如く前面に出て場面を変化させる。どこか、サスペンスBGM風。voixは不気味な嗚咽から心地よい鼻歌に変わる。ピアノとドラムのデュオにサックスが入って第五面(Face E)に移る。ここでは、アルトとテナーが激しく噴き出すようにコラボレーションを演ずる。カタルシス直前。第六面(Face F)は、ピアノの左手のうねりから始まり、R&Bかロックンロールのようにすっ飛ばして盛り上がる。正にフリージャズ、という一つの典型。これは、セシル・テイラーのブルースでありジミー・ライオンズのブルースのようでもある。

 この長尺のライブ盤を通して聴いてみてまず気になったことは、このバンドのライブの激しさ凄さもさることながら、全面的にフリー一辺倒とは言えないサム・リバースという人の存在である。もしかしたら、彼の存在によってこのライブに安定感と変化が得られたのではないかと考えている。“モンマルトル”でのシンプルさと比べて、この“マグー”のライブでの様々に変化する場面の構成を支えたのは、サニー・マレイからアンドリュー・シリルへというドラマーの入替だけではなくサム・リバースの加入ではないか。何故なら、厚みと立体感という面ではベースやトランペットが入ったブルーノート盤には及ばないが、このライブの精巧で堅固な構成と安定感・統一感のある展開は「ユニット・ストラクチュア」以上にダイナミックで構造的に見えるからだ。そして、後の「サイレントタング」などのソロの単調さから察すると、芝居の場面が転ずるごとにグイグイと引き込まれるような深さと次々と変化し拡散する幅の広さは、セシル・テイラーだけのコントロールによるものではないように思えるからだ。マイルス・デイビスのバンドにも短期間だけ在籍したサム・リバースはしっかりとした存在感がありながら自信がでしゃばることなく柔軟な印象で、彼を慕う多くの後輩達がいたことを納得できる。

 凄まじいプレイを繰り返す不動のユニットはピアノ・アルト・ドラムというシンプルな編成のライブであるだけに、リバースの参加を得てストレートで明確な表現を成し遂げている。実は、私はライオンズもシリルも、テイラーとの共演より他でのプレイを知らない。それで、この三者のユニットに限っても、限りなく爆発的なアンドリュー・シリルとどこかドロ臭さ漂うジミー・ライオンズとしつこく粘っこいセシル・テイラーと、この三者のパワーが相乗的に発揮され一体化されているのはこの時期が最高のようである。今の時点で聴いてみて、ニュージャズとか前衛音楽とかに拘りなくこの盛り上がりと集中力はジャズのライブの醍醐味であり、ブラックミュージックのルーツにしっかりと則っている。その後、70年代に入ってからは次第にこの方向性が薄れてきたようで、やはり、どこか寂しさを憶える。

 この60年代はセシル・テイラーにとって活動の一つのピークとされている。最初クラシック音楽を学び現代音楽も聴き込んだという彼のピアノはセロニアス・モンクの影響を強く受けているということで、55年(56年?)にはピアノ・ベース・ドラムという通常のピアノトリオのフォーマットで“ベムシャ・スイング”を録音していて、ここでは既に少したどたどしく波打ちうねるような中低音が聞こえる。そして、この時にデューク・エリントンやコール・ポーターの曲を演っているのが面白い。「人名事典」によると、60年代に入るとアーチー・シェップやアルバート・アイラーなどと供に活動し、62年にはベースレストリオで“モンマルトル”に登場している。64年“十月革命”コンサート、66年ブルーノート契約、68年JCOA自主レコード、69年ヨーロッパツアーで“マグー”出演。70年代になるとソロなど多彩な活動を繰り拡げる。ここに至ると、過激なまでの60年代をいつまでも求め続けるのはノスタルジーと言われそうである。テイラーの目指すところは過激さを突き抜けた更に先にあったということだが、それでも、ライオンズの加わった“モンマルトル”の頃からの10年がいちばん「セシル・テイラー・ユニット」らしく、時代にシンクロしていた時期だと考える。

 「Aの第二幕」“マグー”ライブ3枚組2時間を一気に聴き通すのは手強い。1面と6面を中心に華々しく編集して気を引くアルバムタイトルをつければ“モンマルトル”以上に商業的にも成功したかもしれない。そうしなかったのがワンナイトということだろう。前後の録音も聴き返してみると、テイラーとシリルそしてライオンズのトリオが改めて新鮮に聞こえてきたが、ここが彼等の目指した到達点ではなく一つの通過点であり、彼等の活動が充実はしていても完成はしていないことがわかる。「70年代以降テイラーがこの方向性を放棄したのは何故だろう」との問が重い。

 

*“マグー”の表記について
Maehgtをマグーと表記してよいか疑わしい。アルバート・アイラーのラスト・レコーディングに「南仏ニースの郊外サンポールのマグー近代美術館主催の前衛音楽祭に出演」とあり、この表記を用いた。

*“イントランジション”のレコーディングデイトについて
カバージャケットでは「'55年12月10日ボストン」録音となっているが、ブルーノートブックによると「'56年9月14日ボストン」とされている。なお、コール・ポーターのYou'd Be So Nice To Come Home Toはテイラーのソロ演奏で、モンクのBemsha SwingエリントンのAzureはトリオであるが、他にスティーブ・レイシーが加わった曲も収録されている。